大学時代にスロットにどっぷりハマってしまった僕ですが、高校生くらいまではギャンブルとは程遠い世界で過ごしていました。
中学では生徒会長を経験しましたし、ずっとやってきた野球ではキャプテンを任されました。
高校生当時、今では考えられませんが普通にパチンコ屋に出入りしている友人もいて
3万円くらい稼げるよ!
と誘われることもあったのですが・・
こんな感じで、どんなに誘われてもパチンコ屋に足を踏み入れることはありませんでした。
進路を悩んでいるころに「大学へ行くのなら何か資格を取るように」と両親から何度も言われたこともあって、資格を取りやすい医療系の大学に進学することになりました。
この進学が僕にとって大きな転機となり、人生で初めて一人暮らしを経験することになるのです。
僕としては一人でも何とかやっていける自信もあったのですが、誘惑はジリジリと忍び寄ってきていました。
目次
何をするにも自分で決める”自由”にとりつかれた先に待っていた未来とは!?
大学に入学してからは、慣れない環境ながら授業に遅れないようにと必死に勉強していきましたし、成績も良い方で経過していました。
ただ入学してからしばらくして、一人暮らしに慣れてきたころから、徐々に僕の生活に変化が現れてくるのです。
勉強することも
遊ぶことも
寝ることも
サボることも
全て自分で決められる自由な生活に甘えるようにして、段々と勉強から遠ざかっていってしまっていました。
一人暮らしになってから制限がなくなった生活に慣れて、徐々に自制心が働かなくなってきたのです。
そんなころ、友人から
とお誘いがあると、夜中の12時を回っていたとしても
といった感じに、毎日友人の家に行って、ゲーム三昧の日々を送っていました。
当時はサッカーゲームの『ウイイレ』にハマって、友人4人くらいで腕を競い合っていました。
僕はそれまでの生活がガチガチ過ぎたその反動もあるのか、一人で何でも決められて、いくら遊んでいても怒られない環境に
友人宅で毎日のように深夜遅くまで遊んでいるので朝は遅刻ばかりで授業についていけなくなります。
最初は後ろめたさでいっぱいですが、怒られることもないので・・
こういった考えになるのは、当然ですよね←
授業はサボるし、たまに出席したとしても夜ふかしのせいで全く授業が頭に入ってこない悪循環。
そこからは坂道を転げ落ちるように僕の成績はどんどん落ちていってしまいました。
何とかしなくちゃいけない!
と常に考えてはいるもののテストが終わってしまえば、また今までの生活に逆戻りといったことを繰り返していました。
そんな堕落した生活をつづけていると、友人から
というお誘いがありました。
もともと興味のなかったスロットですが、時間もあったし何よりこの頃は、遊ぶお金も欲しかったのもあり
安易な考えで友人について行くことになったのです!
遅かれ早かれいつかはパチンコに出会っていた気もしますが、僕の人生で大きなターニングポイントになったことは間違いありません。
【衝撃】初めてパチンコ屋への入店!イメージがガラガラ崩れ落ちる!
友人に連れて行かれたのは、家から少し離れた全国でも最大手の某M店!
当時はテレビCMも流れていてその地域No.1の稼働率を誇る活気のあるホールでした。
初めて入るときはもっと緊張するものかと思ったのですが、大手ホールという安心からかすんなり入ることができました!
そのパチンコ屋の入り口の自動ドアが開くと・・・
今まで聞いたことのないような轟音とともに、台やデータランプから発せられるまばゆい光が目に入ってきます。
その後に目に入ったのは、台の前に座って必死に玉を打ったり、ボタンを押しているおじさんやお兄さんの姿です。
当時のスロットは爆裂AT機やST機の時代で「初代北斗の拳」や「吉宗」、「アントニオ猪木のパチスロ機」といった爆発力が魅力の機種ばかりでした。
パチンコに至っては現行のMAX機もビックリの大当たり確率1/500!確変突入率&継続率80%&全て16R!!という爆裂スペックの機種(ヤマトとかウルトラマンとか)で満席状態でした!
パチンコ屋ってもっと暗いイメージで、煙がもくもくで何となく雀荘みたいなものだと考えていたので、その時の明るいイメージや熱気溢れる感じを真に受けて、これまでのパチンコ・スロットに対する先入観が崩れた瞬間でもありました。
そんな未知の世界で最初に座った台は「初代 北斗の拳」
©サミー
日本全国で60万台の設置があり、もっとも売れたスロット台としてギネス記録に認定されているあの機種です!(ちなみに5号機の最高はアイムジャグラーEXで20万台ということを考えると販売台数の多さがわかると思います。)
やり方はまったく分からなかったのですが、友人が隣に座ってくれたので色々レクチャーしてもらいながら、のりへいのスロット初打ちはスタートします。
と言われたので何も分からず中押ししまくっていました!
ボーナスを狙えば揃うと思っていたので、毎ゲーム狙ってみたのですが全く揃わず・・
訳が分からないまま友達に教えられるまま
メダル投入
↓
レバーオン
↓
ボタンを押す
これを繰り返していました。
目押しなんてできませんから友人に押してもらいながら「チェリーが中段に止まるとアツい」と友達が興奮気味に話していたのを聞いていました。
大勝ちすることはできませんでしたが、わけがわからないままボーナスを引いて、運良く数千円の勝ちを収めたのでした。
そして、帰りに焼肉屋に直行し、スロット談義に花が咲いたことは言うまでもありません(笑)
このできごとをキッカケにスロットに対するイメージが激変し
僕の中ではこのような感情に支配されていきました。
焼き肉を食べた帰りに雑誌を一冊購入して、友人からスロットルールをレクチャーしてもらい、一気にスロットの知識が増えて友人と一緒に打ちに行くことが増えました。
初戦こそ数千円勝てたものの、知識があるくらいで勝てるはずもなく、なけなしのお金がどんどんとなくなっていきました。
ここで引き下がればいいものの、一度勝ちを知ってしまった僕は「次こそは・・・次こそは・・」と次第にのめり込んでいきました。
スロットはこうやってハマっていくんだなぁ、と今になって考えると思いますね。
パチンコ屋に入ることさえ戸惑っていた僕が、友人がいなくても一人でパチンコ屋に入店することが当たり前になり、アルバイトがないときは毎日のようにホールに通いつめるほどのハマりっぷりです。
この時点でスロットのルールは理解したのですが、勝ち方が全く分からなかったので、コンビニに売っている何種類ものパチスロ雑誌を買って研究を重ねました。
雑誌では『高設定を打つこと』『小役確率が良い台が高設定である』という情報は載っていたので、その知識だけは持っている状態になったのです。
スロットにハマり、負け続ける日々!人生のどん底を味わう
当時はイベント全盛期だったのでアツそうなイベントがあると朝から参加することもたくさんありました。
イベントに参加するとは言っても座るのはいつも適当でそろそろ爆発してくれそうな(!?)台を自分なりに一生懸命考えて打っていました。
結局そんな立ち回りでは勝てるはずもなくみるみるうちに貯金が消え、時給の高い深夜のアルバイトも始めるようになりました。
それでもバイト代よりも負ける金額が大きいので、生活がキツくなり
と心に決めるものの、実際にバイト代が入ると
まさにダメ人間の思考にどっぷりハマってしまっていたのです。
汗水垂らしてバイトして稼いだお金も数日で溶かしてしまい、給料日前には「醤油+マヨネーズ最強!」とか言いながら、ご飯と調味料だけしか食べないこともありました。
本当に生活が苦しいのにも関わらず、何とかスロットで取り返そうとして、使ってはいけないお金にまで手を出す始末。。。
なけなしのお金を握りしめて、必死にレバーを叩くも、惨敗。
数時間後には無一文になったのりへい少年が、トボトボと自宅に帰っていくだけでした。
そういったことを繰り返していたので、電気代、ガス代、水道代の支払いができなくなりました。
支払いを催促する請求書がたくさん届きましたが、その日食べるものさえ困っている僕ですから、支払うお金はありません。
そうやって滞納を続けていたら、突然・・・
『バチン!』と音がして、家の電気が全部ストップしたのです。
最悪なことに、外は雪が降っている真冬です。
こたつもエアコンも使えず凍えるように寒い部屋で、布団の中に潜り込むしかありませんでした。
その布団の中で
自分の性格を恨みました。
自分の不甲斐なさに腹が立ちました。
スロットと出会ったことを恨みました。
自分の置かれている環境、人生、全てが嫌になりました。
これが僕の人生で最もどん底を味わっていたときの生活です。
当時の自分では考えもしませんでしたが、完全にスロット依存症の仲間入りを果たしていましたね。
スロットに出会ったことにより、一気にのめり込んでしまい、挙句の果てには電気を止められる始末。
かなり貧乏で惨めな学生生活を送りました…
この頃は、学業よりもアルバイトやスロットが優先だったので、必修の単位を落として留年一歩手前まで行き、学校に両親が呼ばれるなんて事態にもなりました。
ここまでのめり込んでしまったら自分の力で脱出することは難しいのですが、タイミング良く卒業試験の準備や就職活動のために強制的に学業に専念することで、スロットから離れることができのたです。
この時にスロットと少し距離を置くことによって、客観的に自分のことを見つめ直してこれまでの異常な状態に気がつくことができました。
そんな危機感を持ちながら、目の前の就職と試験に邁進する日々を送ったのです。
スロットから離れてみると周りの友人、学校の先生、両親、家族、そういった人が実は近くにいてくれたことに気がつきました。
僕が辛いとき、全力で助けてくれる仲間がいたおかげで、こんな僕でも無事に就職が決まり、学校を卒業することができたのです。
スロットと出会いどん底を経験しましたが、ギリギリのところで踏ん張ることができました。
本当に周囲の人には感謝しかありません。
その行為を無駄にしないためにも僕はこの件以来、スロットから足を洗うことを決め、次のステップへ踏み出すことにしました。
ただ、スロット依存症に一度ハマってしまうと再発のリスクがあるのが怖いところで、決意とは裏腹に少しずつ魔の手が忍び寄っていたのです。。。
つづく。
のりへい物語 |
1章.スロットで負けて電気代が払えない!真っ暗な部屋で過ごすつらい毎日 |
2章.スロットのない人生を歩もうと心に決めて社会人デビュー! |
3章.スロットで勝てるようになったその先にある大きな壁とは? |
4章.2つの壁をクリアして得たスロットで勝つための究極の思考とは? |
5章.のりへい新ステージへ!流れを変えたたった1つの出逢いとは? |